アニメ映画


週刊わたしのおにいちゃん』(=萌え)は受け手を犯罪者にしてしまうほどの魔力を持っているが、映画は所詮絵空事なので殺人を描こうと犯罪を描こうと人を狂わせるほどの力など無い。
 映画秘宝のスタッフや一部のコアな読者ががやたらと萌えやアニオタを叩くのも、映画が萌えに敗北している現実を認めたくないから、マッチョイズムを振りかざして目をそらしているにすぎないのだ。
なるほど、そういう解釈ができるわけか。解釈というか、屁理屈というか。単に無視されてるだけだと思ってたから、映画誌でそんなにアニメが叩かれてとは思ってなかった。評論とか見ると、売れてるから仕方ない、という風に嫌々アニメを扱ってる感があるので楽しくなかったり。でも、バトロワ論議が国会に持ち込まれたりとかいうことはあったから、社会的には映画の影響力の方がアニメのそれよりは高く評価されているわけで。そのへんは、過去、映画で育った世代が広く浸透しているからなのだろうけど。
もうここ20年くらいの国内映画界は洋画>アニメ>>邦画という興行成績の図式ができあがってて、映画興行界では不思議なことにアニメは邦画の枠に入れてもらってないわけです。一応、興行成績の発表とかは海外作品=洋画・国産=邦画として計上されるんで、年間ベスト10なんてものになるとアニメと特撮に過半数を占められて、映画評論者のなかには、アニメ興行に勝てない邦画として、邦画の危機を叫ぶ人もいるのだけど、覆せないまま年月を重ねて。さんざん広告を打ってヒットしたといっても国内トップは取れない。ま、アニメが洋画邦画全てのトップを取ったということもないから偉そうなことは言えないけど。
配給会社にとって映画というのは文化事業という側面はあっても慈善事業ではなく、稼げない作品に金を投じることはできない。現場は売れるものを作れとハッパをかけられてるであろうが、結果としての興行成績は明らかに低い。映画を作る者の中になんとしてでも売れるものを作るという意識は薄いのではないだろうか。安直でも定番でも他人のふんどしでも二番煎じでも、売れるものが興行における一つの正義である。ハリウッド映画はなりそういう正義を貫いてるから世界で売れてるのだよ。


アニメが、漫画が、ゲームが、少年たちに影響を与え犯罪者を生んでいるというのであれば、映画もテレビも新聞も出版物も街頭演説も人々に影響を与え、悪影響を及ぼす存在のはずだよね。オタメディアを取り上げて批判するメディア、それは自己批判になるんですがいいのですか。