オレはロリコン

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2005年7月21日 (木)  小児性愛について考えること
 が、ロリアニメの調教ものはオバサンは犯罪だと思うし、あれを面白いとはどうしても思えない。それが必要な人というのは何なんだろう? 詩くらいじゃ我慢できないのであれば、カウンセリングに行って薬をもらうなりして、リハビリをするしかないんじゃないだろうか?
 でも、そういった人間関係を手に入れるためには泣きながらの練習も必要なんである
 友達とケンカしたり、イジメられたり、ふられたりしながら人間は成長するのである。 ゲームばっかりしてたらそれは勉強できないんじゃないかな。

アニメの話なんだよね、アニメ。最近よく話題にしてるゲームじゃなくて。
まず、ロリコンの存在をなんとかしたいなら、本人の自発的な行動を待っても解決しないのです。ロリコンだと判定したら、力ずくで引っ張ってって矯正すべきなのです。それをしないから、そういう嗜好があってもいいという思考に流れるんです。メディアから消し去れば煩悩が消え、犯罪行為が無くなるかというと、そういうものではない。
リアルな女性と関わらないのは、手間のかかかる人間関係は家族と職場だけで十分だということでもあるんです。わざわざ手間をかけて生活の中に摩擦を増やすのも煩わしいということで敬遠されるわけ。結果として、向こうから飛び込んでくるなら対処するが、わざわざ自分から相手に飛び込んでいくことはしないということになる。
そういう、不用だと感じたことに対して行動することをあきらめた人にとって、なんでもかんでも首をつっこんで参加しろというのは暴力でしかない。
このへんは、ギャルゲー・エロゲーに留まらず、一部で落ちモノと呼ばれたりもするカテゴリーとして、いろいろな作品に影響している。机から出てきた猫型ロボットとか、宇宙からやってきた雷撃虎縞ビキニとか、転校してきた少女(少年)とか、角を曲がったら少女とぶつかるとか。


真性ロリコンのジレンマについては、そうだな、パタリロあたりを読んでくれないか。単純化してしまえば、相対的な××年年下だからいいというのではなく、××歳だからいいというものです。自分の年齢が20歳であっても、50歳であっても、一万歳であっても、対象の年齢は変わらない。どんなに好きになっても、相手は歳をとって少女ではなくなってしまう。それでも愛せるなら、それはロリコンなのかどうか。社長の嫁で10歳下20歳下といっても相手は10歳とかじゃないわけで、わかってて意図的に違えてるでしょ。その『社長』が20代の頃から20歳下と交際して嫁にしたというのならロリコンにとっても美談なんだけど。
これは、ロリ物のまんがであれゲームであれ、 純愛エンドとなるものには必ずついてくるものですから。


あと、ドラマで描かれてる電車男のオタクってのは、オタクになりきれないオタクなのよ。ひとが言うには、よくわからないが、自分はオタクらしい、という程度の。だからオタクの目からは、あのドラマは、オタクにだけはなるなよという物語に見えてしまう。オタクではない人からはオタクにエールを送っているように見えるのかもしれないが、その実は、オタク道を突っ走るオタクを拒絶していて、の先へ行かず、留まれというメッセージなのです。
ボクも、オタク道へはまるな、こっち側へ来るなとは言いますが。来るなら、今まであった人間関系、他人を捨ててもいい覚悟が必要です。

2005年7月21日 (木)  性的被害者は確かに増えている
 武器がたくさんあったら戦争にならない。という理屈より、武器はないほうが戦争にならないという理屈の方が正しいのと同じだ。
 少女と性行為をするという発想そのものがこの世の中にあってはならない。それは絶対的なタブーなのである。

よく反戦屋が使う文句ではあるが、正しくない。武器があるから戦争をするのではなく、闘争があるから武器があるのであって、武器が無ければ争いが起こらないという理屈は成り立たない。因果が逆なのである。「風が吹くと桶屋が儲かる」という状況を解消するために桶屋を無くしてもやっぱり風は吹くのである。この論理を出す相手とは理性的な話ができないと認識してます。
戦う道具が無ければ拳で戦うし、石を拾って投げつけるかもしれない、紐を使ってより強く飛ばすかもしれない。規模の変化をもたらすだけで、武器というのは、ただ、それだけのものだ。私に言わせりゃ、健全なスポーツの代表格である野球の道具なんてものは、人殺しの道具だったり破壊兵器だったりするわけ。反戦屋さんももうすこし理性的になって、武器や輸送技術、情報網の進化が戦争の拡大と範囲の拡大を招いているということで武器否定をしてくれれば、まともな人として扱ってもいいのだけど。食料の供給ですら、戦争を支える(新谷かおるクレオパトラD.C.より意訳)ものなんです。むしろ、兵站が止まって食料が無くなれれば戦闘は止まるわけで、戦争というのは、戦端よりも補給路の破壊と確保が重要なんです。補給路の安全を確保するには、敵の戦端を潰していくしかないわけで、大東亜戦争の南方・太平洋局面でずるずると戦端が延びたのはこういう理由。
物量戦として進化してきた近代戦への否定の結果が単独行動犯によるテロだったりするのだが、武器否定派はそれをどう捉えてるのかしらね。そして、ゲリラは物量に対して質の違う物量で対抗する手段。
どんな考えであれ、脳内に持ち、実行しない、表現しないうちはそれは人の心の中の問題でしかない。でも、実際に行為に及ぶなら、ものによっては犯罪である。問題なのは表現するときの扱い。
エロコンテンツに関して言えば、行為に及ばないという、分別のつく人間の仲間うちでの表現はあってもよいと考えている。見える見えないに関わらず、そういう考えの存在自体が許せないという人とはどうやっても平行線なのは分かっている。こればっかりは、そういう宗教だからしょうがないと思う。
だが、そうした表現物を不特定多数に晒すことは問題。そういう意味で、アキバのエロ看板が表から消えたのは、アキバに行くオタの望みでもあったのよ。自分たちの力で何とかできなかったこと、むしろ、購買という行動で有用性を示して拍車をかけていたことは恥ずかしいことであるけど


引用の前の文章だが、表ざたにならない子供への性犯罪というのはカスパル代表の子供時代の話だから、性犯罪が増えたわけではなくそれ自体は昔も今も変わらず多くて、今は表に出やすくなって増えてるように見えるという結論になるはずで、付けられた見出しとは大きく異なる。論拠が足り無いせいなのか、論理性を無視してるのか分からんが。