朝鮮関連


●「在日韓国・朝鮮人は強制連行されて日本に来た、というのはウソだ!」というのは山野車輪に限らず多くの嫌韓厨の主張だが、
玉川大学の若槻康雄教授の調査によると「日本にとどまった在日コリアン」のうち、「官斡旋」「徴用」で日本に連れてこられた者が約14%に達するという。「自由募集」まで含めると倍近いんじゃねえの?
また、「在日本大韓民国青年会」による「在日コリアン一世」に対する聞き取り調査でも、渡日理由のうち「徴用・徴兵」が13.3%だったという。
「在日は強制連行された者の子孫ではない!」というのはウソっぱちだったんだね。
●そして終戦後も多くの朝鮮人が日本に留まったが、その理由の一つに、当時の日本政府が「通貨1000円、荷物250ポンド以上の持ち帰りを禁じた」こともあったんだって。それじゃみんな残るだろうね。

●ひとつめ
「在日が日本にいるのは強制連行の結果である」とった主張をすることが多いのですが、いうのは正しい言説でしょうか。「嘘ではない」けれど、必要な情報が大きく欠落してるために正しい情報でもありません。そういう表現をしている人の言動は眉に唾つけて見るべきです。
最近は「在日が日本にいるのは強制連行のせいである」という主張を前面に押し出すことはやめて、「在日が日本に居る理由を考えて欲しい」と濁すようになりました。「在日が日本にいるのは強制連行の結果である」「強制連行で日本に連れてこられ、日本が帰国を邪魔したために今も日本に居ざるを得ない」と主張すると揚げ足を取られるので、日本人の『良識』で「在日は強制連行の子孫である」と判断してもらうようにしているわけです。表現をごまかしてるあなたも同様の手法を使っています。


 ところで,この「強制連行」に関連して,2つの神話があることはご存じでしょうか?
 まず一つは,“在日朝鮮人の一世はみんな強制連行によって日本に連れられてきた人たちである”というものです。強制連行があまりにも植民地支配の象徴としてマスコミなどで取り上げられるため,こういう誤解が生じたのでしょう。強制連行がはじまる1939年以前にも,植民地収奪にともなう窮乏などによってすでに80万人近い朝鮮人が日本に移住していたわけですから,これは事実ではありません。
 もう一つの神話は,“いまの在日朝鮮人一世に,強制連行によって連れられてきた人たちはいない”というものです。この神話の背景にある発想は,1)強制連行が行われたのは終戦までの約7年間にすぎないため,母国に生活の基盤が残っている人が多く,解放後すぐに朝鮮に戻れたはずである,2)そもそも強制的に日本に連れられてきた人は,解放されればすぐに帰ると考えるのが自然である,というものです。しかし,在日韓国青年会が1982〜83年に実施した調査では,少なくとも13.3%が徴兵・徴用によって来日していることが示されています。僕の実家(福岡)のあたりでも,徴用で来たという方は少なくありませんでした。
「在日は強制連行で連れてこられた者の子孫である」は正しくないし、「在日は強制連行で連れてこられた者の子孫ではない」も正確ではありません。『強制連行』の定義で揉めたくはないから経緯の話はおいといて、今の在日朝鮮人は強制連行が理由で日本にいるわけではなく、「朝鮮ではなく日本を選んだ人」「日本にいることを望んだ人」です。
そういえば、収奪のために現地で食えなくなって日本に渡ってきたのも、『広義の強制連行』というんでしたっけ。『在日』イコール『強制連行』としたい人もいるようで。こればっかりは反論する気もなくなるよなぁ。強すぎる電波を止めることはできないものだろうか。


●ふたつめ
強制連行で連れてこられた人たちでも持ち帰れないほどの資産が作れたんだね。
貨幣価値の単純な比較は控えるべきではあるが、物価そのものはだいたい100倍(昭和20年との比較だと180倍くらい)*1になってます。戦後数年で10倍になって、そのあとの40〜50年で10倍。当時の1000円の制限というのは、おおよそ10万円程度の持ち出し制限となる。
一方、GHQの指示で、日本への持ち込み制限もあった。


1.通貨・証券等を保管するに至った経緯 
 横浜税関で保管している通貨・証券等は、二つの保管経路があります。一つは「上陸港扱」で、海外からの引揚者が横浜、浦賀及び久里浜の各港に上陸の際、連合国軍総司令部(GHQ)の指令により持ち込みが禁止されていた一定限度(一般人1,000円、軍人は将校500円、下士官以下200円)を超える通貨及び証券類を税関 が預り、保管しました。
 もう一つは「外地扱」で、引揚者が外地引揚げの際、GHQの指令により持帰りを禁止されたこと、治安上から個人の持帰りが不安であったこと等、諸般の事情により、引揚者が現地(瀋陽吉林、撫順、鞍山等)在外公館、日本人自治会等に預けた証券等のうち、一部が日本に送還され、横浜税関がこれら全てを一括保管しました。
この時期は、持ち込みも持ち出しも制限されてるわけですから、朝鮮人だけが制限されていたかのような表現をするのは誤りです。これも前項同様、誤読・誤解を狙った表現には眉に唾をつけて見ましょう。
批判すべきは、制限の存在ではなく、制限を超えた資産の一時保管ができなかったことでしょう。朝鮮半島に責任を持てる政府がない時期で信用できる関係者に預けるということができなさそうだし、日本政府が預かってもよさそうなんですけど。申し出れば預かったかもしれない。
日本政府の指示した重量制限がポンド基準というあたりが怪しいが、230キロ制限だったという話もあるので細かい数字はいいか。船に持ち込める重量って無限じゃないんです。制限がなかったら、何を持って帰るつもりだったのかな。あくまで手荷物としての制限なので、乗船者のおまけではなく別に送られる貨物便として扱うことができたかどうかはちょっと分かりません。
同様の制限がある中で、海外に居留していた日本人は大多数が日本に帰ってきてます。残留した割合までは良く分かりませんが。
そもそも、『強制連行』で無理やりに日本に連れてこられた朝鮮人が、情に厚い(と自慢する)同胞の居る国に帰って暮らしていけないというのはどういうことなんでしょう。地元に帰れば親戚や知人がいるでしょうし、人情を重んじた在郷朝鮮人たちから『強制連行』の被害者として丁寧な扱いを受けて生活の立て直しも容易にできそうなものです。帰る場所、帰る家がないってなんでしょうね。強制連行とやらは家や土地を処分する余裕があったんですかね。


日本を選ばなかったものが日本に留まる理由はありません。今は持ち出し制限はない(現金そのものは制限されているはずだけど、預金等の制限はない)のですから、帰国を留まる理由はありません。終戦直後から十数年ほどに渡った混乱期と違い、韓国の政情も安定しています。
日本に資産があるから帰れないというのなら、即、資産を売却して帰ったほうがいいです。ちょっと前までは10倍とか言われていたけど、今は8倍くらいでしょうか。日本にいるときに持っていた資産は韓国で数倍になるのですから、日本にいるより暮らしやすいはずです。韓国は十年後には日本に追いつくと言ってるので、先延ばしするほどこのメリットは薄くなります。急いでください。


○コメントへの反論
ちなみに、朝鮮戦争は1950年からの話ですから、帰国(当時、国はなかったが)者のほとんどが渡った終戦直後の帰郷ブームの内に帰らなかったこととは関係ないですよ。
内地・日本は敗戦国としてこの先がどうなるか分からない状態で、朝鮮半島に負けず劣らず混乱してる状態でした。それでも日本人は帰ってきました。帰らざるを得なかったこともありますが、残るにしても帰るにしても相当な覚悟が必要だったはずです。もちろん、民間人の残留は自己責任です。
当時の在外日本人の選択と在日朝鮮人の選択がこんなにも違うのは不思議な話です。