右とか左とか

普通、ストって待遇改善を狙って労使間交渉の手段として使われるけど、今回のはちょっと違うんだよな。選手の雇用主は球団であって、交渉相手である野球機構っはそれとは別の、超球団組織だ。
で、この交渉を眺めてて思ったこと。野球機構側が右で選手会が左という図式。体制維持に動く機構と改善を求める選手との交渉。どっちも、プロ野球というものを保護することを目的としての行動で、この交渉上にはプロ野球の存在を否定する、例えば私のような人は居ない。


右・左と分かれる勢力図のなかで誤解されることが多いが、どっち側に居ても、そこにある組織を保護しようとすることは前提になっている。組織そのものを無くそうとか壊そうという人は、右でも左でもない。


極右───右翼───右派───左派───左翼───極左
民族主義保守主義──中道───リベラル───共産主義
用語としては共産主義を左翼と呼ぶので、そうでないものを左翼と呼ぶわけにはいかないし、同時に民族主義をでないものを右翼と言うべきではないのだが。正確な表現をとるなら、右・左ではなく思想・主義で語るべきものである。逆に、混乱や錯覚を起こさせようとするには右・左という表現を目立たせることになる。
思想・主義から切り離した場合、右は保守派・漸進派、左は改革派・急進派である。改革をすすめる動きはどっち側にもあるが、今ある構造の上で混乱を避けながら新しいシステムに変えるのが右で、古いものは捨てて新しい構造の上にシステムを作り上げるのが左である。反体制を左と言うこともあるが、その体制の足元の部分は右でも左でも変わらない。そこまで否定するのはその外側のものである。


さて、日本における右・左というのが何を指すのか。この国の基本となるものは実のところここ1500年ほど続いている天皇制にある。天皇自身が治める飛鳥から平安までの時期と天皇の任じた征夷大将軍が政治を行う鎌倉から江戸、そして立憲君主制をとった明治以降のと三つに分かれるが、その中心は常に天皇である。
明確に右と左の入れ替えが起きたのはこの境目のうちの一つ、大政奉還。これは、幕藩体制を打ち倒して天皇に政権を返す改革を目指した左側の倒幕派が、現体制を維持し天皇が任じる将軍に統治を続けさせようとする保守である右側の佐幕派に打ち勝ったものです。
右も左も天皇を頂上に掲げていることに変わりは無いのです。このなかで天皇を否定する運動をしたら、両陣営から攻撃を受けたでしょう。
たいてい、国が出来たときには強力な中央集権化が成されます。これが、安定して時間が経過すると共に、権限を部下に少しずつ渡していくために中央、主権者である王の権限は緩くなり、それが体制となって、状況を維持するのが右派となります。これは同時に、安定を継続させるために権力を分散化させる動きですが。その中で、権力闘争のあおりから、他者への権力分散を嫌って、安定した体制を変える左派の、再度中央に権限を集中させようとする動きが出てきます。このへんの個々の実例を引っ張り出せるほど知識がないけど、この両方の動きが繰り返し起こっているはずです。どっちもあくまでも中心に居る者、王を基礎としています。


あー、書くの飽きてきた。ようするに、天皇制を否定するのは、日本という国を否定することと同じだぞと。
愛国心がどうこうとか、いろいろ言う人もいるけど、これは結局、自分が守る対象がなんなのかということでしかない。自分の身だけ守ればいいのか、それとも家族や親戚か、友人か、家族や友人のいる住んでる地域なのか、地域の延長線上にある国なのか。外が壊れればどこまでも中に入ってくる。だから、自分というものの延長でそれらを大切にしよう、守ろうというのが愛国心、ということ。逆に、愛国心は不用だと言う人は何をどうしたいのだろうかと思う。


右とか左とか、野球交渉の話にかこつけて整理してみようかと思ったが、いまいち上手くいかなかった。