外国籍公務員

ストーカー殺人の高裁判決で隠されてるような感じがある。実際、報道ステーションのように報道を掲げていながら報道すらしないワイドショーもあったぐらいに。
公務員の採用が外国人に開かれてる点だけでもかなり譲った状態なのに、管理職を求める裁判。管理職ともなれば、他者への指示をする立場でもあり、それは法の行使者であることも意味する。外国人であるということは、日本の法ではなく、国籍国の法を優先する者である事をも意味する。
一般職員ですら職務命令の国旗掲揚に反発することは問題とされる中で、国旗掲揚を指示する立場に指示を正しく伝えなかったりする可能性のある人が付くことは許されるかどうか。よその国がどうかはともかく、日本の公務員に求められるのは日本の法、政令等に従うことです。法を逸脱する行動は自らの職務・地位・待遇を保証する法体系の否定でもあり、公務員としての適格性を欠いているのです。
もちろん外国人を公務員として登用すること自体はありだとは思うけどね。明治時代には外国人を登用したりしてたわけだし、そういった人事が必要なら今やるのもいいでしょう。外国人であることが必要である部署なら採用もいいでしょう。
外国人は出身国の公務員になることができるのですから、わざわざ外国である日本まで来て公務員としての採用を望む理由はないと思うんですよね。だから一連の判決でも一貫して法の想定外と言ってるわけで。

  • 1986年 保健婦採用の要件から国籍条項を撤廃
  • 1988年 保健婦として東京都採用
  • 1994年 周囲の勧めで管理職試験を希望したが都から拒否
  • 1994年9月 都を提訴
  • 1996年5月 東京地裁の判決
  • 1997年11月 東京高裁の判決
  • 2005年1月 最高裁の判決

都の国籍条項撤廃と当件周辺の時系列をちゃんとまとめてくれる人いないかな。
鄭香均が都に採用されたのは37歳。そういう歳でも公務員としての採用があるんだね。
外国籍で採用後に国籍取得して管理職となるということはできなかったのだろうか。都の公務員であるために身元が都に保証され、公務員であるから国民・都民の利益のために活動してる実績もあり、更に定収入も約束されてるような人なのだから帰化することに障害はなにもなさそうなんだけど。外国籍枠だから日本国籍をとっても先の道がないということではないだろうし。

  • 「哀れな国ですね。この日本の国の中での国際貢献、国際化ということをどう考えるのか、それが今回のひとつの指標(支障?)になると思ってました。それがこの判決です。涙も出ません。」
  • 「もうあきれ果てて。ここまでひどいとは思いませんでした。いやよくやりますね、大法廷がこんな幼稚な判決を。」
  • 「世界中に言いたいです。日本には来るなと。日本に来て働くということはロボットとなる、ということです。人間として消して扱われない。哀れな国だと思います。」

全発言というわけではないし、ことによると発言の前後がカットされてるかもしれないけど、各局のWeb上にあるニュース映像から拾える範囲で当人の発言。
気に入らない相手はこき下ろすのが好きらしい。『幼稚』だとか『哀れ』だとか。青色ダイオードの中村氏もかなり引く会見をしてたが、こっちも負けてない。
『日本には来るな』なんて日本人が在日朝鮮人に言ったら激しく噛み付いてきそうなセリフだが、言う人によっては許されるんですね。
ある種、労働者にはロボットとしての役割が求められるんで、「だからなんだ、あたりまえだろ」と反論もしてみたくなる。これが市井の一個人とかなら、思想や人情で行動しても個人の背負う問題だからかまわないけど、全体の奉仕者たる公務員が個人の意志を職務に反映させるのは問題がある。対応に差別をせず、全ての人に同じ対応をすることが求められるからだ。法とはそうした平等性と一律の基準を示すもの。もし差を付けたら、それは一部のものに利益供与することでもあり、よくある公務員の不祥事や汚職となんら変わりがない。


チョン香均ヒャンギュンの12月15日の意見陳述より抜粋

私の父は23才の時に言論著作出版厳禁の命に逆らったとして逮捕され、国外追放の処分を受け故国から追われ、日本に来ることを余儀なくされた強制的日本臣民です。母は「家」の因習から逃れ、父のところに身をよせた日本国籍者です。
私はこのような両親のもとで1950年、日本国籍者として生を受けました。父は1960年、韓国において学生達を先頭にした民衆蜂起「4月革命」以後、 60歳を過ぎて祖国に帰ることを許されましたが、その間、創氏改名に屈せず不逞鮮人の烙印を押された父の周辺には、常に治安警察が張りついていました。

その父がいつ、どこの『国』の国外追放を受けて日本に来たのか知りたいな。誰が日本に来ることを強制したのかね。
当人は在日朝鮮人だと言ってるが、父の国外追放とやらが1945年以前ならば半島出身のはずはなし、1945年の終戦以降であれば、正式な国交のない半島から日本へわざわざ渡ってきたということになる。帰国船などの行き来はあったから移動は可能だったし、朝鮮人の日本再入国を禁止したりとかしたぐらいだからかなりの人が日本に来ようともしてたのだろうけど。そのへんは、焼け跡の中で混乱してるはずの日本になぞ来たがる人が居たのはなぜなのかも知りたいところ。