ショタ

たまごまごごはん 2007-01-20 男性向け「ショタ」について考えてみた。』を見て、やはり「しいねちゃんネット」からショタケット(1995年5月5日)への流れは押さえておきたいところなどと考えたり。しいねちゃんの名前を冠してはいたけど、ショタ全般のBBSだったらしい。繋ぐ環境が無かったから行ったことはないんで、語れることは何も無いんだけど。そしてボクはしいねちゃんにはピクリともせず、わんわんリーヤ派。
しいねちゃんネットに入れ込んでいた友人からショタケットの事を聞かされ、ショタオンリーのイベントだとワクワクして行ったら、本の中身だけでなく集まったのも男ばかりでコミケのエロスペース以上に男の祭典だったことに驚き、けっこう知られた人たちが参加してるということで更に驚いた次第。
BBSがスタート地点にあるんで、男ばっかりになってしまうのはしかたないなとは思った。でも並んでる本はショタというか汁気たっぷりのエロで、女の子が男の子に置き換わっただけという部分も強くて、なるほどこれは女は来ないなという感じ。プレイそのものや表現という点で、女の子では出来ないことが男の子だとできるというのがこの分野に人が流れてくる理由と見た。
ショタがロリの対極かというと、実はAとZの関係みたいに実は隣り(わかつきめぐみの宝船ワールド ASIN:B00005GVBL)にある。ただ、世界の広さと同じようにショタの世界も広くて、自分のいる位置こそがショタとセクショナリズムもで起こる。

女装

女装はやっぱりショタとは違うな、軸が。重なるところはあるけど。
男装した女性を男性が演じるクビャール・トロンポンという踊りがバリに。少女少年でもありましたな、そんな話。しかもまだ何段も重ねられそうだ。
女装というか、異性装は退廃文化として安定と成熟の中で出てくるものだと思う。本来の役目を切り離してできる余裕があってできること。戦争をしないでいると文化にリソースが割かれ、どんどん鋭化・分化して歪んでいくんです。
それらが『萌え』にまで発展するものかどうか。どうしても同性愛とセットにされがちだから、そこから切り離したものってどうなんだろう。